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自分の毎日、未来に「ワクワク♪」「楽しい♪」を増やそう! フェルデンクライス・メソッドからの動きやからだを通した、ライフスタイルへのアプローチの日々、と言いつつ、最近はトレイルラン・ランとフェルデンクライスな日々。
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価値観
大きなタイトルですが・・・
最近感じることは、「自分が家族の価値観の中で生きてきた」ということ。

良いとか悪いとかではなくて、その事実。
人はみんなそうなのかな?

「家族は、一番小さな、最初の社会」というようなことを聞いたことがある。
その中の価値観にどっぷりはまっている人も、抜け出している人も、さまざまでいいと思う。

その中でもってきた価値観が変わること、どれだけの人が体験して、
あるいは、変化を感じていくのかな?などと考えてみたりしてる。

私は、「フェルデンクライス・メソッド・ティーチャーズ養成コース」の第3期生。
フェルデンクライスのレッスンを受けて、コースに入っている世代。
フェルデンクライスのレッスンをそこそこ受けれる環境が整ってきた世代。

それでも、フェルデンクライスは、私の価値観を変える、とてもとても大きなチカラをもっていました。
「自分が今までやってきたこと、なんだったの?全部間違い!?」
なんてことも思った。
それは今、クリアになってる。
そんなことはないよ、って。

今だからこそ、分かってきたこともある。
レッスンを受け始めたとき、トレーニングコースに入った時、こんなに自分を揺るがすものだなんて、
全く!思ってなかった!
思ってたらやってたかなぁ・・・。

人は、自分の価値観を揺るがされるものは怖い、と思うのだ。
私、小心者、だし。
変わること、怖い部分もいっぱいあった、いや、まだある。

でもでも、私たちの先輩、第1期の方々は、ちょっと本を見れば、お名前が出てくるような、
そんな「自分の道」を極めてきた方々が多い。
そんな方々、よくこれを受け入れられたなぁ、と尊敬。

変わること、変えること。

そんなことができるものの1つがフェルデンクライス・メソッドだと思う。
いや、フェルデンクライスすごさを伝えたかった訳ではなく・・・。
1つのアイテム、手段、例。

「変わること、変えること」
それもできないと、生き抜いて行けない時代になっていることを感じている今日この頃。
少なくとも私にとっては、今までの「価値観」を変えないといけない、
いや、変える時期になってきたんじゃないかな。

起こるべくして物事は起こる。
それにどう対処していくか。

最近、お仕事の関係もあり、たくさんの方々と「はじめまして」のごあいさつをし、
いろいろなことをおしえていただく、学ばせていただく機会が多い。

「明治維新から80年後に戦争。それから80年後に今回の震災。
80年周期で動いている。今は、転換期なんだよ。
あなたの年齢的にもそうだね。今が大事なんだよ。」

このことばもそのひとつ。

「価値観」ってことばをもうちょっと考えた方がいいかな。
宮古島トライアスロン!
参加してきました。トレラン友達が。

初めて出会ったのは、トレランのレースの後で、その後も何度もレースで会い、一緒に練習したこともあった。
時々、「あっこさん(私)の根性にはかなわない。」って言われる
いえいえ、そのことば、そのままお返しします、といつも思うし、今日も思った。

まず、朝出かけようとしていたら、「宮古島」のタイトルで、
まず内容が、「200キロ戦ってきまする」、とメール。

もうこの時点ですごい
ぞくぞくした。
そして、がんばれ~

さらに、「バイクの途中関門かなりきつくランに移れるか勝負です」と。
ますますぞくぞく。
ますますがんばれ~!!

メールの終わりに、各ポイントをチェックできるサイトのURLと、ナンバーが書いてあった。

何時間も経って、やっとそのサイトにアクセスできたら・・・
すご~いっ!
バイクの関門も通過してる!
ランに入っている模様。
もうね、ほんとすごいよ~。
思わず、駅のホームでナミダはらはら。

いや~、ほんと、すごい。
単純だけど、これしか出てこない。

何度も無事進めているかサイトチェックして、携帯は持ってレース出てないだろうけれども、
何度も何度もメールして、ドキドキして。。。無事?ゴールできたみたい!

200km、想像できない旅。
ホント、尊敬そして感動!

私もこんなチャレンジしたい。
トライアスロン、やりたい!
そう思えた。

おととし、ハセツネの応援に来てくれた仲間が、「来年は出る!」と思わず宣言してしまった気持ちが分かる。
人の心を動かすチャレンジ。
未知へのチャレンジ。
きっと私の心に響くのは、「身体を動かすこと」「未知へのこと」「誰かと競うのではなく、自分を越えること」
こんなキーワードがあるチャレンジなのかもしれない。
そして、身近な人のチャレンジであること。

ナミダはらはら。
心揺さぶられっぱなし。
そのわりにうまく表現できない気持ち。
出てこないことば。

うーん、やはりフェルデンクライスは、固くなった心も柔らかくするなぁ。
いろんなことを感じやすくなる。
いろんな気持ちが巻き起こる。
けど、怒りは、減るな。
喜び、うれしさ、心満たされる感じ、感動、が多くなる。
私の場合、ナミダはらはら、が多くなる
良いのか悪いのか。
どうそれと付き合うのか、も大事。
そういう意味でも、フェルデンクライスは、表現すること(歌う、踊るなど)を
趣味、仕事にされている方にもいいかも。

★市ヶ谷燕スタジオ:フェルデンクライス・レッスン★
*日時:5/23(月)19:30-20:45
*参加費:2500円
*詳細は後日アップします。

お気軽にどうぞ♪
知らない、のだよ。
ずっと、からだを動かしてきました。
いわゆる、運動とか、スポーツとか、ずっとやってきました。

好きだったからと言えれば良いのだけれども、そうでもなかったかな?
いや、そうでもない時期もあったかな。
今は、自信を持って、「好きだから」って言えることがうれしいけど。

そんなことや、フェルデンクライス・メソッドについて考えていて、また思い出したこと。
ツイッターで、昼間につぶやいたこと、もうちょっとちゃんとまとめてみよう。

スポーツとか、運動とか、主にスポーツかな、を指導している指導者について思うこと。
指導者のみなさんが全てこれから先に書くような指導者だ、って、決めつけてる訳ではないです。

「こういう風に動きなさい。」と言う。これ、当たり前。よくある。
例えば走る時、「骨盤を前傾しなさい。」など。

言われている側は、どういう状態なのか分かってる場合と、分かっていない場合がある。
分かってない場合は、分かるように伝えると思う。

分かったとする。
でも、できる場合と、できない場合がある。
できる場合、ここで落ち着く。
もしくは、「センスがある!」とか、褒められ、認められる。

できなかった場合、が問題。
「ここをこういう風にすると、できるよ。」とか、と言える指導者、どれだけいるか?
さっきの走ることであれば、「肩甲骨を背骨に寄せるといいよ。」とか。

繰り返し、「こういう風に動きなさい。」その繰り返し、多い。
「こういうことを意識しなさい。}とか。
いやいや、意識するもなにも、分からないんだって。
それを分かるように教えるの、あなたの仕事じゃない?と思ったこと、いっぱい。

ちゃんと「どうしたらそうできるか。」を教えてくれる指導者もいるけど、少ない気がする。

さらに、それでも、できない人もいる。いるの!
私みたいなタイプ。
こんだけ教えたのにできないの!?ってタイプ。

でもね、できない側からすると、できないんだよっ。
ほんと、悔しいけど、できないの。
努力してるとか、してないとか、そんなことじゃないの。

頭では分かってる、つもり。
でもね、からだをそういう風に動かせるかどかはね、別なの。
別!

というと、「それは分かってないんだよ。」と言われる・・・。
「はいそうですねー、はいはい。」と、どーでもよくなる。

できないことでなく、その人との関わりが。

できないことに対しては悔しいので、あまりどーでもよくなること、私にはあまりない、
けど、一般的には多いのかもしれない。

話を戻すと・・・なんでできないか、というと、「そういう風に動かす。」ということをからだが知らない。
そう動かす、という選択肢がない。
簡単に言っちゃうと、カレーの作り方を知らないのに、「なんでカレー作れないの?」と言われてるようなもの?

前に、このことについて、フェルデンクライスのトレーニングコースの同期生と話した。
「そういう教育を指導者は受けてないんだよ。だから分からないの。」と言われた。
なるほど。
でもこれってさ、ちょっと考えれば、見てれば、気づかないか・・・?
うーん、こんな自分だからかしら。
こう思うことも、前に書いたような指導者と同じようなものか・・・反省。

すいすいできちゃう人も、できない人もね、みんな同じなんだよ。
そのスポーツ、うまくなりたい、強くなりたい、とか、そういう想い。
だから、言われたことすぐできない、それはね、悔しいんだよ。

でも、その悔しさとか、なんでできないのか、そこまで考えられる人、どれだけいるのか?

それも学び、学んでいくこと、そう言ってしまえばそれまでだと思う。
都合のいい、指導者側(特に教育関係の指導者、学校の部活の指導者など)の言い訳や想いなんじゃないか、とすら思う。
でも、やっている側は、真剣。
特に学校の部活なんて、限られた何年間。
大人だって、「いつまでできるかなぁ。」そう考えてる。

そんな自分だから、ここに自分に足りないものを補えるものがあると思うから、
フェルデンクライス、やってるんだろうね。

そういう人、他にもいっぱいいると思う。
だから、余計なお世話かもしれないけど、そういう人には気づいてほしいし、伝えたいし、届くようにしたい。

でも、フェルデンクライスだけで全てを補える、とも思ってない。
他に足りないものは、他でも補わねばならない。


あのね
すぐにことばに出せること。

よくよく考えて、悩んで、やっとことばに出せること。

ふっと何かが抜けたようにことばに出せたこと。

「あのね・・・。」ってことばにした時に、文字にした時に、
「このこと、おしえてほしいんだけど・・・」って聞いた時に、
ちゃんと向き合って聞いてくれる友達、ありがとう

ふと気持ちが緩んで、幸せだなぁ、と思う。

変わること、変えること、自分の人生、自分の生き方。

決めるのは自分。
でも、たくさんの仲間や友達、みんながいてくれる。
あふれ出る
いろいろなideaがあふれ出て、忘れないようにメモしたり、つぶやいたり。

これやりたい、あれやりたい。
こうしたらどうか?ああしたらどうか?
どうしたらうまく行くか?

そんなことを考えていたら、今までと全く違う方向も思いついたり。

どーなっちゃうのか?
というより、何を選び、何を優先させるか?なのかな?

お知らせしたいこと、お伝えたいことたくさんあります。

またゆっくりと
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