おんたけウルトラトレイルの最後の方のフラットなロードは、全く走れなかった。
正確に言うと、「走れなかった」のか、「走らなかった」のか、なぜそうだったのか・・・
記憶があいまい
「18時間台でゴールできる!」「ゴール前は走ろう。」と思ってはいたなぁ。
足裏、痛かったから?んー。
分身が走っておりました、いや、ほんとに。
信越五岳トレイルランニングレースの最後のフラットな林道は、走った。
下ってきて、林道に出たら、走る気満々
からだも動いたし、「ここで走れなかったら、おんたけと同じだ。」と思った。
そんなに走れないことを気にしてなかった、その時は。
でも、後になって、「走ってなかった。」という事実が強く残ってる。
ハセツネの最後の方、日の出山出てからの金毘羅尾根は、うっすら上りは歩いたものの、フラットなところも下りも走った。
トレイル抜けてからも走った。
「ここは走るところ。絶対走る。」って思ってた。
やっぱりおんたけの最後のことを思っていた。
転んで、だらだら流れる血ばかり気にしてたけど、「走るもの。」と思ってたし、きつくはなった。
神流の試走の最後の方は、気持ちいい下り
足元が今まで経験したどこのトレイルよりも悪かった。
前日は奥武蔵のトレイル、アップダウンが多いところを走ってた。
でも、最後の下りは気持ちよく走れた
NAHAマラソンの30~35kmはきつかったー!
でも、「歩かない!」って決めていた。
だから走った。
ゴールしたら、股関節がバキバキだった・・・。
でも、ホテルに帰って、お風呂入って、またふらふらと街中へ
皇居ラン、「疲れたぁ~」と思って終わったも、銭湯に向かって歩いてるとき、
からだが軽いというか、いい感じでからだが動いてる
そんなことが多い。
疲れているから走れないのではない、な。
気持ちの問題?それもないことはないとも思う。
でも、一番思うことは、少なくとも今の私にとっては、
「走る動きと歩く動きは近くても別物」
ということ。
走ることも歩くことのようにもっとラクに、そしてできる時間が長くなれるはず。
どこがどう違うのか?
まだまだ探って探って、からだにきいて。
正確に言うと、「走れなかった」のか、「走らなかった」のか、なぜそうだったのか・・・
記憶があいまい
「18時間台でゴールできる!」「ゴール前は走ろう。」と思ってはいたなぁ。
足裏、痛かったから?んー。
分身が走っておりました、いや、ほんとに。
信越五岳トレイルランニングレースの最後のフラットな林道は、走った。
下ってきて、林道に出たら、走る気満々
からだも動いたし、「ここで走れなかったら、おんたけと同じだ。」と思った。
そんなに走れないことを気にしてなかった、その時は。
でも、後になって、「走ってなかった。」という事実が強く残ってる。
ハセツネの最後の方、日の出山出てからの金毘羅尾根は、うっすら上りは歩いたものの、フラットなところも下りも走った。
トレイル抜けてからも走った。
「ここは走るところ。絶対走る。」って思ってた。
やっぱりおんたけの最後のことを思っていた。
転んで、だらだら流れる血ばかり気にしてたけど、「走るもの。」と思ってたし、きつくはなった。
神流の試走の最後の方は、気持ちいい下り
足元が今まで経験したどこのトレイルよりも悪かった。
前日は奥武蔵のトレイル、アップダウンが多いところを走ってた。
でも、最後の下りは気持ちよく走れた
NAHAマラソンの30~35kmはきつかったー!
でも、「歩かない!」って決めていた。
だから走った。
ゴールしたら、股関節がバキバキだった・・・。
でも、ホテルに帰って、お風呂入って、またふらふらと街中へ
皇居ラン、「疲れたぁ~」と思って終わったも、銭湯に向かって歩いてるとき、
からだが軽いというか、いい感じでからだが動いてる
そんなことが多い。
疲れているから走れないのではない、な。
気持ちの問題?それもないことはないとも思う。
でも、一番思うことは、少なくとも今の私にとっては、
「走る動きと歩く動きは近くても別物」
ということ。
走ることも歩くことのようにもっとラクに、そしてできる時間が長くなれるはず。
どこがどう違うのか?
まだまだ探って探って、からだにきいて。
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