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自分の毎日、未来に「ワクワク♪」「楽しい♪」を増やそう! フェルデンクライス・メソッドからの動きやからだを通した、ライフスタイルへのアプローチの日々、と言いつつ、最近はトレイルラン・ランとフェルデンクライスな日々。
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ラクに走る
先日、日記に書いた、「体幹ランニング」の報告

すごかったぁーーー

走ろうと思ってる公園に向かって歩いてる時、ずーっと感覚をかみしめていた。
この感覚、この感覚、この感覚を持って走ろう・・・。

私は、気持ちよく歩けていても、走るとなると、がらっといろいろなところが変わる。
かたまる。
動かなくなる。
ナゼカワカラナイ・・・

歩いてる時のように走ろう。
いつもの歩きと、今日の歩きは感覚が違う。
この感覚、この感覚・・・。
あんまりそう考えない方がいいのか
競技をしていた時は、いつも感覚をからだに入れよう、
この感覚で、ってかみしめていた。
なつかしいぃー。

走ってみる

目線が高い。
首がすっと伸びてる。
胴体がくるくる動いて、腕と脚と、肩甲骨が動いている。
動かしてるんじゃなくて、動いてるすいっと足にからだがのっていく・・・。

全然違う

今までは、動かしていた。
足で走ってた。
足を前に運んで、どっこいしょ、ってからだを連れて行ってた・・・。

ああっ

この感覚を味わいながら・・・。
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり・・・楽に楽に楽に・・・。

途中で感覚が変わってきて、そこで止めた。
いつもの感じに戻ってきたな。

が、昨日、電車に乗ろうと走ったときに、またあのいい感覚が戻ってきた

フェルデンクライスのレッスンで、トレーナーに、
「いつまでも今の感覚を持っていなくてもいい。忘れなさい。」
と言われたことがある。
いい感覚でも、もったいい感覚が手に入るかもしれないし、
からだが変われば、いい感覚も変わる。
今の感覚にこだわっていれば、それに気づかない。
なんだか、そのような理由だった気がする。

また、いい動きの感覚を知ってるだけじゃなくて、悪い動きの感覚をしってることも必要だ。
区別できること。どこがどう違うのか?
悪い動きの感覚も知っていなければ、悪い動きを直すこともできないし、
いい動きにすることもできないからだ。
と聞いたこともある。
(ちょっとニュアンスが違うかな

まさに
その時の私は、その区別がついた。
よかったぁ

感覚こそ力

ただ、走れればいいんじゃない。
心地よく、楽に走りたい
でなければ、私にとっては走る意味がないのだ

まだまだ続くよ、このトレーニング
フェルデンで感覚をみがきつつ・・・。


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仲間の記事から
この前、日記のカテゴリーに書いた、引退した仲間のインタビューが、ある専門誌(月刊誌)に出ていた。
職場でおしえてもらった。
おおっ、これはご飯食べながらなんて見れません
姿勢を正して読まねば・・・。

と思いつつ、今日
で・・・まださっとしか読んでないんだけど、「感覚を伝える」ということばがひっかかった。

彼は、脚に力が入らない感じ、その脚に自分のものでない感じをもってた。
その感覚をトレーナーなどに伝えた。
けど、その感覚を伝えることが難しかった。
筋力が弱いのでは?ということで測定もした。
けど、筋力には左右差がなかった・・・。

私も以前によく感じていたその脚の感覚。

そして・・・
あ~、また出たっ
その筋肉で解決しようとするその考え・・・。
筋肉で全てが解決できるのか?
彼の感覚を聞いた側は、理解しようとしたのか?
他に解決できる方法は考えなかったのか?

そしてもうひとつ・・・
よく、フェルデンクライスのティチャーズコースで、レッスンの後に、そのレッスンでのからだの感覚を話すことがある。
みんな同じレッスンを受けている。
だから、「うんうん」「そうそう」と共感できる部分も多い。

が、それは、本当に同じ感覚、なのか?
ティチャーズコースの感覚も、彼と私の感覚も同じ、と言い切れるか・・・。
わからない。
自分の感覚は相手は、自分になって感じることはできないから、確かめようがない。
ことばの使い方、表現も人それぞれ。

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